すぎたとおるのレキシよもやま話

島津義弘は動物好き

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戦国末期の九州を席捲した島津四兄弟。
その中でも戦場指揮官として実際に先頭に立って戦ったのが次男の義弘である。

勇猛果敢な武将として知られる義弘だが、そのエピソードには意外にかわいいものが多い。

島津義弘像

朝鮮出兵、つまり文禄・慶長の役においてのことである。
義弘はこの二度の戦いに、いずれも一万以上の大軍を率いて参戦している。
ちなみに文禄の役のときには国許の理解が得られずに兵がなかなか到着せず、情けない思いをしたりもしているのだがそれは今回省くことにする。

さて、この過酷な戦場に義弘が連れて行った動物がいる。
猫である。
しかも七匹も。

「いや、この猫をこうしてもふっておるとじゃな、戦の辛さを一時忘れられるのじゃ……」

などという理由で連れて行ったわけではない。
猫の目を見て、時を知るためである。

猫の目が時間帯によってその大きさを変えることは、猫を飼ったことのある方ならご存じであろう。
筆者は学習漫画の「忍者のひみつ」か何かで、

「忍者は潜入するとき、時間を知るために猫を連れて行った」

と書いてあったので知った。
しかし屋敷に潜入するのに猫を連れて行ったりしたら、鳴いたり小便したりで大変であろう。

話を戻す。
猫の目が時間によって大きさを変えることは江戸時代にも知られていて

「六ツ丸く四八瓜さね五と七と玉子なりにて九ツは針」

という言葉が国語辞書に載っている。
九つは正午なので、針のように細いし、早朝の六つには丸いということですな。

さて、この猫たちだが、朝鮮の厳しい戦場で五匹は死んでしまい、無事日本に帰ってきたのは二匹のみであった。
この二匹は、朝鮮在陣中に、義弘の次男である久保(陣中に病死)が大変可愛がっていた二匹でもあり、死後は「猫神神社」という、日本で唯一猫を祀る神社の祭神となったのである。

また、朝鮮出兵中の泗川の戦いにおいて、義弘は三万を超えるともいわれる明・朝鮮の大軍に包囲されて大ピンチに陥っていた。
義弘の率いる軍勢はわずか七千。

義弘は、敵が大砲に頼っていることから、奇襲作戦を思いつく。
敵の火薬庫を爆破するのである。
決死隊が編成され、密かに泗川城を抜け出した。

と、その決死隊の前に、赤と白のキツネが現れた。
これを稲荷大明神の使いと信じた決死隊がついていくと、果たせるかなキツネは火薬庫まで案内してくれたのである。

決死隊は火薬庫の爆破に成功、混乱に乗じて打って出た島津軍は見事に明・朝鮮軍を打ち破るのである。

島津義弘は動物からも愛されるチャーミングなおっさんであった。

島津義弘 (人物文庫)

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すぎたとおる

一九七〇年十一月四日生まれ。
東邦大学理学部生物学科卒。
漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)
小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)
歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)
などの著作がある。

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石垣