すぎたとおるのレキシよもやま話

ケチにも二種類

レキシ堂コンシェル(http://rekishido.entacafe.net
に連載移行しました「レキシよもやま話」から、
毎月1回ほど、おすすめ記事をピックアップしてお届け!
___________________________________

 

戦国武将でケチといえば、徳川家康か前田利家である。
しかしこの両者、同じケチでもだいぶ評価が違う。

徳川家康は、

「風に飛ばされた便所紙を、裸足で追いかけた」

という壮絶ケチエピソードを持っている。
また周囲にも倹約を勧め、領民に対して

「白い褌は禁止。茶色にしておけば汚れが目立たず、替える回数が少なくて済む」

というお触れを出し、どん引きされたというエピソードもある。

対する前田利家は、牢人時代に金によほど困ったとみえ、

「信じられるものは金だけだ」

みたいな発言を何度も残している。
当時のハイテクであったソロバンをマスターし、家臣に金を貸すのが趣味であった。

しかしこの両者の、ケチに対する見方は随分と違ったようである。

まず家康の話から。

徳川家康像(大阪城天守閣蔵)

豊臣秀吉が甥の秀次を切腹させたとき、秀次から金を借りていた大名たちに対して、すぐにその金を秀吉に対して返済するよう命じた。

慌てたのは細川忠興である。
「ガラシャの夫」としか呼ばれないことに腹を立て、戦国DQN四天王の一角に上り詰めた忠興であったが、何と秀次に対して黄金百枚もの借金をしていた。
もちろんそんな大金をすぐに返せるはずもない。
忠興はあちこちの大名や商人のところを回るが、もちろんそんな大金を用意できたところはなかった。
困り果てた忠興は、ついにそれまでほとんど付き合いのなかった家康のところをたずねた。
話を聞いた家康は、

「それはお困りでしょう」

と言うと、なぜか鎧櫃(よろいびつ)を持ってこさせた。

「いや、必要なのは鎧ではなく……」

家康、にやりと笑って鎧櫃を開けると、中からは黄金の山が。

「これは徳川家の金ではなく、わしが個人的に貯めたへそくりじゃ。三河時代から貯め続けておったから、黄金百枚ほどはあろう。持って行くがよい」

「必ずお返しいたします」

「いや、それは困る。太閤殿下にこのことが知られたら、かえってわしの身が危うい。この金は、何も言わず持って行くように」

これで窮地を脱した忠興は、関ヶ原では愛妻のガラシャを犠牲にしてまで家康につき、東軍に勝利をもたらした。

続いて利家の話。

秀吉と家康が戦っていたころ、佐々成政が家康に呼応して軍を起こし、利家の部下が守る末森城を攻めた。

「よし、救援に行くぞ」

「殿、それは難しゅうございます」

「どうしたわけだ」

「殿が前田家の金を利殖にばかり使い、兵を養わなかったので、兵が足りませぬ」

ここで鬼嫁と化したまつが登場。

「だからあれほど申したではありませんか!」

まつ、利家が貯めた金の詰まった革袋を利家に叩きつけると、

「さあ、この金を連れて出陣なさい!」

と、利家を屋敷から叩き出してしまった。

同じケチでも随分と差がついた。
しかし利家、この件で反省したらしく、晩年、死の床についたとき、突然起き上がると

「ソロバンを持てい!」

ソロバンと書類を持ってこさせると、何と死の床で決済をはじめた。
そしてすべての決済を終わらせ、

「貸した金は催促するなよ。そういう者がいざという時味方になってくれるのだ」
と言い残して大往生したという。
家康は「倹約家」、利家は「吝嗇家」といわれているが、利家も死ぬ前にはだいぶ反省していたようである。


家康の仕事術―徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話 (文春文庫)

Facebookで「レキシ堂」を見る

石垣