すぎたとおるのレキシよもやま話

第21回 はっきり言ってわかりにくい平清盛登場前史(3)

さて、すでに平清盛は表舞台に登場しているので「前史」ではなくなっているが、このまま続ける。

権力を掌握した後白河天皇は平清盛を重用し、平家は大いに栄えた。
そして後白河天皇も二条天皇に譲位して上皇となり、親政を続けようとする。
これに二条天皇を担ぐ一派が反旗を翻した。

平清盛が都を離れたスキをついて、後白河上皇を軟禁、その腹心であった信西入道を自害に追い込んだのである。


後白河法皇像(『天子摂関御影』より)

ややこしいのは二条天皇親政派が、後白河上皇親政派である藤原信頼を抱き込んだことである。
彼の目的は信西入道の排除であった。
そして信頼に同心したのは源義朝をはじめとする源氏の武将たちである。

信西入道を排除して権力を手にした信頼は、もちろん二条天皇に権力を返還はしなかった。
源氏の武力を背景に、自らが権力を握ったのである。

そこに変を知った平清盛が帰京する。
信頼は清盛を自政権に取り込もうとし、清盛もいったんはそれに従った。
しかしそれは清盛の策略であった。

源氏の武力に支えられているとはいえ、裏切られたと感じていた二条天皇とその一派は清盛と接触、天皇は清盛の元へと脱出した。
また後白河上皇も 信頼の元を脱出し、信頼は自らの政権の正当性を保証する一切を失う。
また、源氏の兵力も合戦を想定した規模のものではなかった。

官軍となった清盛の軍勢はたやすく源氏を打ち破り、降伏した信頼を処刑したのである。

この乱の結果、信西と信頼を失った後白河上皇は権力基盤を失い、二条天皇親政派も廷臣の多くを失った。
こうして平清盛の元に、政権が転がり込ん できたのである。

この平家による権力掌握の過程は、明らかに清盛を含む誰かの陰謀などではなく、院と天皇が権力争いをし、双方が共倒れした結果である。
清盛がそ れを望んでいたのかどうかすら定かではない。
ここらへん来年の大河ドラマがどう解釈するか、楽しみなところでもある。


2012年NHK大河ドラマ「平清盛」完全読本(産経新聞出版)

日本史のみならず世界史を見ても、内紛を起こさなかった勢力が滅びたケースは少ない。
豊臣政権も武断派と文治派に分裂していればこそ家康につけ こまれたわけだし、アステカ帝国も周辺諸国の恨みを買っておればこそ少数のスペイン人に滅ぼされた。

貴族たちも、天皇と院と藤原氏で勢力争いを繰り返しておればこそ、武家の勃興を許してしまったのである。

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すぎたとおる

一九七〇年十一月四日生まれ。

東邦大学理学部生物学科卒。

漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)、小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)、歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)などの著作がある。

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石垣