すぎたとおるのレキシよもやま話

第20回 はっきり言ってわかりにくい平清盛登場前史(2)

さて、この白河法皇(上皇)が長生きしたおかげで、割を食ったのがあとの二代、堀河天皇と鳥羽天皇である。
白河法皇が実権を握り続けたおかげで、堀河天皇も鳥羽天皇も、治天の君となることができなかった。

ここで、白河法皇の女癖が、事態をさらにややこしくする。
なんと、鳥羽天皇の后との間に、子供を作ってしまった。
後の崇徳天皇である。

もちろんDNA鑑定はない時代なので、崇徳天皇が白河法皇の実子であるという確実な証拠はない。
問題なのは、鳥羽天皇がそう思い込んでしまった という事実である。

白河法皇が生きている間はおとなしくしていた鳥羽法皇であったが、白河法皇が崩御すると行動を開始する。
自分の子ではないかもしれない崇徳天皇を退位させ、確実に自分の子である近衛天皇を即位させるのである。

こうなると、崇徳上皇に、「天皇の父」として治天の君となる可能性はなくなる。
崇徳上皇は鳥羽法皇への恨みを抱き、自分が「治天の君」となる チャンスをうかがって時を待つ。
そして鳥羽法皇の崩御を待って行動を起こした。


崇徳上皇像 『天子摂関御影』より(三の丸尚蔵館)
 
時の天皇は、近衛天皇の急死を承けて即位した後白河天皇。
鳥羽法皇の息子であり、崇徳上皇にとっては弟でもある。
この両者の対決が、時あたかも 勃興していた武家の二大勢力を巻き込み、武力抗争となった。
これが保元の乱である。
 
崇徳上皇には源為義・源為朝・平忠正らがつき、後白河天皇には源義朝・平清盛らがついた。
源平の合戦とはいうが、源氏も平家もそれぞれ分裂しての戦いである。

戦いは当初、崇徳上皇方有利に運んだ。
何しろ崇徳上皇方には、多分個人としては日本史最強の、源為朝がいるのである。


源為朝(菊池容斎・画)

源為朝がどのくらい強かったかというと、13歳の時に勘当されて九州に追放されたが、たった3年で九州を平定して帰ってきたとか、弓矢一本で300人乗りの軍船を沈めたとか、伊豆大島に追放されたらやっぱりあっという間に伊豆大島を平定してしまったりとか、実は死なずに琉球に落ち延びてやっぱり琉球を平定してしまったという伝説があるとか、とにかく桁外れに強かったのである。
 
しかしすでに(この時代ですでに!)個人の武勇がものをいう時代ではなかった。
平清盛と源義朝が献策した夜襲は図に当たり、崇徳上皇軍は敗北、最強源為朝も伊豆大島に流された。
この乱により、武家は本格的に政治の中心に躍り出ることになる。
しかし平清盛が絶対権力を手に入れるまでにはもう一波乱あるのであった。
 
次回で完結。

———————————————————–

すぎたとおる

一九七〇年十一月四日生まれ。

東邦大学理学部生物学科卒。

漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)、小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)、歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)などの著作がある。

Facebookで「レキシ堂」を見る

石垣