すぎたとおるのレキシよもやま話

第19回 はっきり言ってわかりにくい平清盛登場前史(1)

来年の大河ドラマは、「平清盛」である。

源平合戦は、戦国・幕末に続いて人気のある素材。
主演にも松ケンを迎え、来年の大河は万全の体勢だ。


『天子摂関御影』の平清盛(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)

さて、源平合戦そのものはさほどわかりづらくはない。
公家の時代が終わり、武家の時代がはじまるにあたって、源氏と平家のどちらが覇権を握るか という
戦いである(と言っては単純に過ぎるが)。

しかし、この源平合戦がそもそもどのようにしてはじまったのか、そもそもどのようにして貴族の時代は終わったのか、という話になると、実にわか りにく
いのである。
このわかりにくい話を、何とかわかりやすく皆さまにお伝えしたいと思う。

まず、貴族の時代がどのようにして終わったのかについてである。
平安時代を支えた貴族の力の源は、全国に所有する荘園であった。
しかし、貴族たちはその荘園に住んで自分で管理しているわけではない。
治安が悪化すると、武装した集団が荘園を襲うようになる。
それに対抗すべく農民たちは武装 し、やがてその一部は戦士集団として専門化する。
彼らは他の荘園の警固も引き受けるようになり、武士の誕生である。

ここで荘園の所有者は貴族や寺社のままであるが、実際の管理人は武士になるという事態が生じる。
これによって貴族は、実質的な力を次第に失っていった。

一方、地方に武士が発生する以前から、「武芸百般」をなりわいとする、「武家」が京都には存在した。
彼らは本質的には貴族であったが、やがて地方の武士と結びつき、その旗頭となっていく。
その代表が、源氏と平家である。

さて、地方では貴族の権勢の弱体化が進みつつも、京都ではまだ貴族の力が全盛であったころ。
貴族(とくに藤原氏)の手から、権力を自分の元に取り戻そうと考える天皇がいた。
第72代、白河天皇である。

白河天皇は、みずから息子に譲位し、上皇となることで、実質的な権力者となろうとした。
院政のはじまりである。

これは藤原氏の摂関政治と強力に対立し、権力闘争が起こるはずであったが、そうはならなかった。
この時期藤原氏の有力者が、ばたばたと死んだからである。
院政は妨害するものもなく機能をはじめ、日本の最高権力者は上皇(法皇は出家後の呼称)となったのである。

この白河法皇の言葉として、「天下三不如意」が残っている。
賀茂川の洪水と、さいころの目と、比叡山の僧兵以外、自分の意のままにならないものはないというのである。

法皇は絶大な権力を手にしていたのである。

この項続く。

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すぎたとおる

一九七〇年十一月四日生まれ。

東邦大学理学部生物学科卒。

漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)、小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)、歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)などの著作がある。

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石垣