すぎたとおるのレキシよもやま話

第13回 神風は何度吹いたか

今年は台風の被害が激しい。
被害地域の方にはまずはお見舞い申し上げたい。
しかし、歴史の中では、この台風が国を救った例もある。
「神風」である。

鎌倉時代の文永十一(1274)年と弘安四(1281)年、高麗王国に先導された元(モンゴル帝国)の大軍が、二度にわたって日本に襲来した。
しかし日本軍の奮戦と、「神風」と呼ばれることとなる台風の襲来により元軍は壊滅、日本は独立を守り抜いた……というところが元寇と神風についての共通認識であろう。

蒙古襲来絵詞(三の丸尚蔵館)

さて、この神風だが、どうも二度にわたって吹いたわけではないらしい。
確かに八幡神の霊験を宣伝するための資料である「八幡愚童訓」には、文永の役のときにも神風が吹いたとあるが、資料の性質から言ってあまり信用がおけない。
そもそも他の資料には暴風雨についての記述はとくに見られない。
また、気象学者たちの研究もこの時期の台風の上陸の可能性を否定している。
どうも文永の役のときの蒙古軍は、
「補給(主に弓矢)が尽きたので、示威行動という作戦目的は達成したし、撤退した」
らしいのである。
ただし帰り道に暴風雨で損害を受けたという記録はある。

二度目の元寇である弘安の役、こちらは間違いなく神風が吹いたようである。
台風のことは当然知っていたはずの元軍が大損害を受けたのは、高麗に作らせた軍船の構造上の欠陥が原因ともいわれる。
これがいわゆるサボタージュだったのかどうかは意見が分かれるが。

もちろん、元軍が台風を気にしつつも海上で待機せざるをえなかったのは、文永の役におおいに学び、石塁をはじめとする防衛施設に依って戦い、ついに元軍の本格的上陸を許さなかった日本軍の活躍によるものである。

さて、二度だと思っていたら一度しか吹かなかった神風だが、じつはもう一回吹いている。
といっても、神風特攻隊のことではない。

太平洋戦争末期、米軍の護衛空母部隊が日本近海を遊弋(ゆうよく)していた。
連合艦隊はすでに事実上壊滅、散発的なカミカゼ・アタックはあるにせよ、日本に脅威など存在しないと思っていたその部隊は気象情報を軽視していた。
普通の低気圧のつもりで台風に突っ込んだのである。

戦艦大和(大和ミュージアム)

とはいうものの近代の戦闘艦は高麗製の欠陥軍船とはさすがに違う。
損害を受けながらも何とか台風を乗り切ったそうだ。

まあ米軍との戦いにも神風が吹いたといえなくもない。
よって神風は、やはり二回吹いたのである。

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すぎたとおる

一九七〇年十一月四日生まれ。
東邦大学理学部生物学科卒。
漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)、小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)、歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)などの著作がある。

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石垣