すぎたとおるのレキシよもやま話

第4回 苦労人! 真田信之(信幸)-前編-

戦国時代を生き抜くのには誰でも苦労しただろうが、この人くらいの苦労はちょっと珍しい。

真田信之(信幸)は、ご存じ真田幸村(信繁)の兄であるが、「日の本一の兵」と呼ばれた弟に比べるとちとメジャーとは言いがたい。
しかし、徳川 家康を打ち破った第一次上田城攻防戦でも大活躍、北条と戦ったときは八百で攻めて来た五千をこてんぱんに打ち破るなど、武勇でも決して弟にひけはとらない。

『真田信之』(個人所蔵)

この真田兄弟の性格の違いを物語るこんなエピソードがある。

子供のころ、兄弟で山に行ったとき、中間が不始末を働いた。
かっとなった信幸が脇差で斬りつけると、腕をちょっと斬られただけなのに、物凄い叫び声をあげた。
その声を聞いているうちに、
「ああ、なんで斬らなきゃいけないんだろう」

という気持ちになった信幸は刀を納め、その後も戦場でも一人も殺めることはなかった。

ちなみにその中間だが、幸村がわざわざ追いかけていって斬り捨てた。

「ちっ! この脇差斬れねーな」

の捨て台詞つきで。

真田昌幸の嫡男として生まれた信幸だったが、幼少時はもちろん父の仕える武田家の人質として過ごした。
まあこのくらいは、戦国時代に生きる身としては普通の苦労である。
人質と言っても、敵の所に行ったわけでもなし、寄宿学校に入れられたようなものである。

さて武田氏が滅亡すると、信幸は普通に父の元に戻った。
そして北条氏や家康との戦いで数々の武功を立てる。

秀吉の天下統一に伴い、真田氏も秀吉の臣下となった。
このとき秀吉の仲介で家康と和解するわけだが、とんでもないおまけがついてきた。
信幸の武勇に惚れ込んだ本多忠勝が、「是非自分の娘を嫁に」と売り込んできたのである。
何しろ和平の引き出物であるから断るわけにはいかない。
小松姫は家康の養女として信幸の嫁になった。

この小松姫は天下一の鬼嫁として知られる。
のちに「孫にひと目会いに来た」昌幸を完全武装で追い返したり、自分の息子が戦場で活躍して帰ってきたのに「死んでおれば将軍家に申し訳が立ったものを」と迎えたりと、エピソードにことかかない。

さぞや苦労をしただろうと思いきや、夫婦仲は睦まじかったようで、二男二女をもうけ、亡くなったときには「我が家から光が消えた」と嘆いたと伝えられている。
よほど相性がよかったのか、それともよほど苦労が好きだったのか。

さて、秀吉が亡くなると、間もなく石田三成が挙兵し、関ヶ原の戦いが起こる。
そのとき信幸は、昌幸・幸村とともに徳川軍の陣中にあった。

『真田昌幸』 『真田幸村』(上田市立博物館所蔵)

ここからが信幸の苦労人生の本格的スタートである。
「表裏比興の者」と恐れられた昌幸を父に、「日の本一の兵」と呼ばれた幸村を弟に持ちながらいまいちマイナーな真田信之の苦労人生、後編でとくとご覧あれ。

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すぎたとおる

一九七〇年十一月四日生まれ。
東邦大学理学部生物学科卒。
漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)、小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)、歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)などの著作がある。

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石垣