すぎたとおるのレキシよもやま話

第2回 本能寺の変異聞

大河ドラマ「江」では、トヨエツが織田信長を演じ、鬼気迫る本能寺の変を見せてくれた。

本能寺の変と言うと、光秀の「敵は本能寺にあり!」にはじまり、燃える本能寺の中、信長が自ら弓や槍を取って戦い、そして最後は「人間わずか五十年……」と舞いながら炎の中に蘭丸と共に消えて行く信長、というのが定番のパターンである。
しかし、我々の知る本能寺の変とはかなり異なる本能寺の変の姿が、史料として残っている。

本能寺焼討之図

その史料は、「本城惣右衛門覚書」と呼ばれ、奈良の天理図書館に現存している。
本城惣右衛門は、光秀配下の武士で、本能寺の変にも参加した、いわば生き証人である。

この覚書によると、明智軍は、部隊を京に向け、本能寺に突入してもなお、自分たちが信長を討つとは思っていなかったという。
信長の命で、徳川家康を討つことになったとばかり思っていたというのだ。

本能寺の門は開いていた。

そこには誰の姿もなく、無人の寺を明智軍は進んだという。
しばらく行くと庫裏の方から女が出てきたので捕らえると、

「上様は白い着物をお召しになっています」

と女は証言した。
ここに至っても、惣右衛門は自分たちが討とうとしているのが信長だとは知らなかったという。

さらに進むと、何人かの奉公衆が出てきて、戦いになった。
戦っているうちに、本能寺のあちこちから火の手が上がったのだという。

この証言は何を意味するのだろうか。

まず、明智軍は、ほんの上層部を除いて部下には信長を討つことを知らせていなかった。
これは信長軍の性質に由来するのだろう。

光秀はもちろん「自分の軍勢」を持ってはいた。
しかし信長軍は基本的には、「信長の軍勢」であり、それが必要に応じて光秀や秀吉や勝家の指揮下で働くしくみになっていた。
言い換えれば信長軍の武将は中間管理職であり、社員(兵士)の忠誠は基本的には社長(信長)に向いているのである。
部下に目的を知らせないことは、本能寺の変を成功させるためには重要なポイントだった。

明智光秀 肖像画

そして激しい戦いの代わりに静寂があった。
これは奇襲の完全な成功を意味する。
信長公記にも、「物音を聞いた信長は最初喧嘩だと思った」との記述がある。

攻めて来たのが光秀軍だと知った信長はどうしたのだろうか。
「信長公記」には自ら戦う信長の姿が描かれているが、この覚書に信長の姿は全くない。

光秀軍はどの時点で討つ相手が信長だと知ったのだろうか。
ひょっとしたら翌朝、信長の遺体を探すよう命じられるまで知らなかったかもしれない。

我々の知るものとは違う、意外な「本能寺の変」の一面である。

もちろん、お江の行動が本能寺の変を誘発したなどという史実はない。
大河ドラマはフィクションである。

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すぎたとおる

一九七〇年十一月四日生まれ。
東邦大学理学部生物学科卒。
漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)、小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)、歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)などの著作がある。

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石垣