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明治学院大学から高輪泉岳寺へ(3)

電師です。

もう師走ですね。

よし、急がなきゃ。

明治学院大学から高輪泉岳寺への訪ね歩きレポート、3回目です。

これまでのところ、白金台駅を降りて、
黄檗宗の瑞聖寺を拝観して、島崎藤村ゆかりの学舎・明治学院大学までを書き連ねてきました。

今回はまず、加藤清正ゆかりの覚林寺(かくりんじ)。

明治学院大学白金キャンパスから桜田通り沿いに北へ歩いて、すぐそこです。

歩いて5分もかからないぐらい。

必死に走れば1分でつきます。

覚林寺は、文禄・慶長の役の際に、
加藤清正に従って朝鮮から来日した日延(にちえん)が開山した日蓮宗の寺院です。

軍神として、加藤清正の位牌や像が祀られています。

付近の住民の方からは「白金の清正公(せいしょうこう)さま」と呼ばれて親しまれているそうです。

呼び方に気品が感じられます。


清正公堂は、本殿・拝殿・幣殿を一体化した権現造です。

蛇の目紋がたまりません。

覚林寺は、勝負祈願の寺としても知られ、
毎年5月4~5日には清正公大祭が開かれます。

期間中は虎退治の清正人形が飾られ、
葉菖蒲入りの「勝守」が頒布されるそうですよ。

清正公の武運にあやかって「勝負に勝つ」という意味が込められているとか。

ぜひ、あやかりたい。

己に勝つべし!

少し疲れたので覚林寺をあとにして、近くの喫茶店へ。

一服したあと、高輪泉岳寺へ向けて歩きますが、
途中にあります肥後熊本藩細川家の下屋敷跡に寄りました。

元禄15(1703)年12月14日、吉良邸討ち入りを果たした赤穂浪士47人。

赤穂浪士たちは、
泉岳寺の浅野長矩の墓前に吉良義央の首級をそえ、大目付に自首したあと、
細川家、水野家、毛利家、松平家の4大名家に預けられました。

細川家と水野家は赤穂浪士たちを厚遇し、
のちに江戸の庶民からも賞賛されましたが、
毛利家と松平家は冷遇したといいます。

細川家には、大石内蔵助以下17名が預けられました。

討ち入りしてから50日後。

元禄16(1703)年2月4日、切腹。

この地で壮烈な死を遂げたのでした。


大石内蔵助外十六人忠烈の跡です。

周りにはアパートが立ち並んでいますが、
ひときわ静寂に包まれています。
(たまたま人通りの少ない日だったのかもしれませんが)

内部は非公開で、扉は閉ざされたままです。

しばらく立ち止まったあと、泉岳寺へと向かいました。

続きはまた近々。

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石垣