すぎたとおるのレキシよもやま話

クリミア半島をめぐる歴史

レキシ堂コンシェル(http://rekishido.entacafe.net
に連載移行しました「レキシよもやま話」から、
毎月1回ほど、ピックアップしてお届け。

ニュースでもご存知の通り、クリミア情勢が大変なことになっている。

本当のところ、この原稿を書いてから掲載されるまでのタイムラグでどんなことが起こってもおかしくないのだが、とりあえず歴史まで変わることはないはずなので、情勢がどう転んでも理解する助けになるために、今回のコラムではクリミア半島の歴史的な基礎知識を書いておきたいと思う。

ロシアの西隣国ウクライナの先端にあるクリミア半島は、黒海に大きく突き出している。
さらにその先端にはセヴァストポリ特別市があり、旧ロシア時代から旧ロシア/ソ連/ウクライナの港と海軍要塞がある。
クリミア半島は、旧ロシア/ソ連/ウクライナにとって、黒海への大事な出口なのである。

旧ロシアの統治下時代、この半島の権益を巡ってクリミア戦争(1853〜1856)が起きる。
ナイチンゲールの登場で有名なこの戦争は、ロシアの勢力南下を阻止したいオスマン=トルコ帝国に、利害の一致したヨーロッパ列強が力を貸したことで、ロシアは手痛い敗北を喫したものの、クリミア半島は失わずに済んだ。

1917年にロシア帝国が崩壊すると、クリミア半島はタタール人を中心に独立を目指すが、激しいロシア内戦の結果、クリミア自治ソビエト社会主義共和国として、ソビエト連邦の一部となった。

1941年にナチス・ドイツがソ連に攻め込むと、ウクライナ・クリミア半島は激しい戦場となり、ナチス占領地域は主にユダヤ人を対象としたホロコーストの舞台となった。

ナチスは多数派であったタタール人にソ連から独立するようけしかけ、それを恐れたソ連の指導者スターリンは、1944年にタタール人を中央アジアに強制移住させ、後にはロシア人を植民させ、ウクライナに統治させていたクリミア半島を直接統治することにした。
これが今回のウクライナ・クリミア動乱の主な原因である。

やがてクリミア半島は再びウクライナの一部となるが、半島内には主にロシア系移民からなる親ソ連派と、昔から半島に住んでいた親ウクライナ派が生まれてしまう。
もちろんタタール人も100%が移民させられた訳ではないからタタール系の存在も無視できない。

1991年のソ連崩壊後、クリミア半島は独立したウクライナの一部となるが、ウクライナが親EUの動きを見せるにつれ、クリミア半島は独立及びロシアへの帰属の動きを強めていき、1992年に一度は独立を宣言した(後に撤回)。

今回の事変(と今は呼んでおこう)を歴史的に見れば、ウクライナ内部での親ロシア派・親EU派との対立が、クリミア半島を絶対に失う訳にはいかないロシアの動きを誘発したものと言えるだろう。

戦争が絶対的な悪であることは言うまでもないが、自らの国(土地)の持つ地政学的な意味(クリミア半島ならロシアの黒海への出口であるということ)を理解しない国民は不幸に陥らざるを得ない。
関係各国が理性的に行動し、最善の結果がもたらされることを今は祈るのみである。

週刊ニューズウィーク日本版 2014年 3/18号

すぎたとおる一九七〇年十一月四日生まれ。
東邦大学理学部生物学科卒。
漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)
小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)
歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)
などの著作がある。

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石垣