すぎたとおるのレキシよもやま話

黒田父子と後藤又兵衛

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ついにはじまった今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」。
今後、様々な人物が登場してくるが筆者的には塚本高史さん演じる後藤又兵衛(基次)が気になるところ。

戦国乱世最後の大合戦・大坂の陣で、大坂(豊臣)方の牢人の一人として活躍した後藤又兵衛。
この又兵衛、黒田官兵衛・長政父子の二代にわたって仕えたことでも知られている。
そして、官兵衛の大のお気に入りであり、長政とは非常に仲が悪かったことで知られているのである。

後藤又兵衛は、永禄三(一五六〇)年生まれ。
最初は官兵衛の主君であった小寺政職に仕え、小寺氏滅亡後は秀吉家臣の仙石秀久に仕えた。

その仙石秀久が戸次川の戦いで島津家久に大敗して逃げ帰ると、主君を見捨て、黒田官兵衛の重臣である栗山利安の元に仕えた。
このころ、主君を見限って乗り替えることは恥ずかしいことでも何でもなく、「七度主君を変えねば武士とは言えぬ」とうそぶいた藤堂高虎のような武将もいる。

さて、陪臣ながら黒田氏の元で働くようになった又兵衛に、長政の指揮下で一揆の鎮圧に赴く機会があったのだが、この時は利あらず長政は緒戦で敗れてしまった。
長政は敗軍の将として責任を取って頭を丸め、従軍したものたちも次々頭を丸めた。
ところが一人、頭を丸めずに平然としている者がいる。
又兵衛である。
同輩の者が忠告すると、
「一揆ごときに一度敗れたくらいのことで、頭を丸めていられるか。次に勝てばよいのだ」
これを気に入った官兵衛が又兵衛を直臣に取り立てたのだとするといい話なのだが、ちょっと記録がない。
とにかくやがて又兵衛は官兵衛の直臣となり、「黒田二十四騎」「黒田八虎」などと呼ばれ、名を残すようになった。

やがて朝鮮出兵の時のことである。すでに官兵衛は隠居していたので黒田軍は長政が指揮、長政と又兵衛が同じ戦場で戦っていたとき、長政が敵将と組み討ちになり川に落ちたが、又兵衛は気にせず自分の敵と戦っていた。
あとで怒る長政に向かって平然と
「こんなところで討たれるような殿を持った覚えはない」
と返したので、長政の怒りは心頭に発した。
折から長政は「DQN四天王」(筆者命名)西の細川忠興と仲が悪かったのだが、又兵衛は気にせず忠興の家臣と気安く付き合っていた。
諸説あるのだがどうもこれがきっかけで、又兵衛は黒田家を退去してしまう。

流浪の身となった又兵衛は、まずたずねた忠興の元で、こう尋ねられた。
「黒田家と戦うことになった場合、どうすれば長政を討ち取れる?」
「簡単なことです。鉄砲隊を五十人も用意し、敵の先頭に立って突っ込んでくる一団をとにかく撃ち倒しなさい。その中に必ず長政公がいます」
長政は又兵衛憎しのあまり「奉公構」、つまり又兵衛を雇ってはならないという報せを全国の大名に出していたので、大名としてはほぼ同格である細川氏はこれを無視できず、又兵衛を雇うことはできなかった。

やがて時は流れ、大坂の陣。
又兵衛は牢人衆の一員として大坂城入りをし、大活躍を見せたのであった。

この又兵衛の活躍が今年の大河でどう描かれるか、楽しみにしていよう。

 

 勇将・後藤又兵衛

すぎたとおる一九七〇年十一月四日生まれ。
東邦大学理学部生物学科卒。
漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)
小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)
歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)
などの著作がある。

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石垣