すぎたとおるのレキシよもやま話

神君の「倍返しだ!」

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に連載移行しました「レキシよもやま話」から、
毎月1回ほど、おすすめ記事をピックアップしてお届け。

TBSのドラマ「半沢直樹」が視聴率42%超という高視聴率を記録し最終回を迎えた。
大ブームとなった半沢直樹の名台詞「倍返しだ!」であるが、日本史でもっとも「半沢」な人生を送った偉人は誰であろうか?
筆者個人は「神君」こと徳川家康を推したいところだ。

徳川家康像(大阪城天守閣蔵)

徳川家康は幼少時代を、織田家と今川家の人質として過ごした。
織田家はともかく今川家にとって家康を人質に取ることは、将来の有能な家臣を育成するという意味合いも大きかったので、「人質」という言葉から想像されるような悲惨な生活を送っていたわけではないのだが、それでもやはり人質は人質。
耐えかねるような目にあったことも少なくはなかった。

たとえば、家康の屋敷の隣には、孕石元泰(はらみいし もとやす)という今川家臣が住んでいたのだが、彼にとって人質である家康が大きな顔をしているのは(大きな顔をしていたエピソードには枚挙にいとまがない。鷹狩ばっかしてたとか)腹が立つことであったらしく、何かというと家康をいじめた。
というか、孕石家の鷹狩場で勝手に鷹狩りをしていた家康が全面的に悪かったようにも思えるのだが、

「三河の小倅め!」

と、何かと言うと家康をいじめていたらしい。

さて、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討ち取られると、周囲が今川をほってはおかない。
家康は独立し、武田と旧今川領を分け合う形になった。

孕石は幸い、武田信玄に仕え、高天神城を任されることとなった。
しかし運の悪いことに、信玄の死後、ここに家康が攻めてきたのである。

武田軍1千に対し、徳川軍5千。
圧倒的不利な戦いで、高天神城は落城した。
わずかな生き残りの兵の中に、孕石がいるのを家康は見逃さなかった。

「久しいのお、孕石。見忘れたか? お主の隣の三河の小倅じゃ」

そして生き残りの兵は全て許し、召し抱えると伝えた上で、

「ただし孕石は切腹」

と冷酷に申し渡した。
まさに倍返し。
いや「100倍返し」である。

このエピソードでわかるように神君様、基本的に温厚ではあるのだが、極めて根に持つ性格であったらしい。

家康は後年、信長の命により嫡男信康を切腹させなくてはならなくなる。
このとき信長の元に弁明に赴いたのが四天王の一人、酒井忠次であったが、彼は使命を果たせなかった。

さらに後年、四天王がそれぞれ加増を受けたとき、他の者は十万石規模の加増であったが、酒井のみがわずか三万石。
これに酒井が文句をつける と、

「お前も我が子が可愛いか」

と皮肉で返されたという。

神君様を怒らせたら、100倍返しなのである。
気をつけよう。

戦国人物伝 徳川家康(コミック版日本の歴史)

すぎたとおる

一九七〇年十一月四日生まれ。
東邦大学理学部生物学科卒。
漫画原作者として、「コミック版日本の歴史シリーズ」(ポプラ社)
小説家として「愛の武将 直江兼続」(雷鳥社)
歴史作家として「武田信玄と二十四将」(リイド社)
などの著作がある。

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石垣